moto-mu
6月に活動の拠点を靭本町から立売堀へと引っ越し、あっと言う間に3ヶ月が過ぎました。まだまだ、自分達自身もこの新しい場所の使い方を模索している様な感じです。いくつかの展覧会と、音楽会、そしてワークショップも既にいくつか行っています。
今、私達は大きな流れの転換点にいる様に感じています。ここ数年そんな風に時代の流れを敏感に感じながら活動をしてきたつもりだったのですが、3.11以降もはや過去の概念が全く通用しなくなるぐらい、驚く程の早さで、これから自分自身が携わらなければならない創造の現場は遥か先へ押し流されようとしているのではと思います。かつて、dumb type の古橋悌二氏が自らに「アートとは有効な表現手段か」と問うていた様に、何度もこの問いを自分自身に投げかけずにはいられません。古橋氏は彼の遺書の中で「我々現代社会を生きる人間にとって冒されざるを得ない精神の病巣を治癒する手段としてアートはやはり、有効な手段となりえるのだ。人間の精神に影響を与えるものの中で最も公平な手段として、私の選択に間違いはなかったのだと信じたい。」と綴っていましたが、僕自身はまだはっきりとこの問いに、確信を持った答えを見つけれずにいます。いえ、見つけれないというよりは、3.11以降に見失っていると言った方が良いかもしれません。
これまでの、ギャラリー(貸し手)、アーティスト(借り手)、観客がはっきりと分かれていた様なギャラリーという場のイメージは、現在どんどんと薄れていっています。ギャラリー、アーティスト、観客の三者の境界がもっと混じって行って、三者で、この月夜と少年という場を作って行かなければならないのだろうと思います。今まで、月夜と少年ではレンタルでこの場所を定額でアーティストに貸し出すか、自分達で展覧会を企画してこちらからアーティストに声をかけて参加してもらうというそのどちらかで、やってきていました。もう少し、その中間ぐらいの立ち位置で場所を運営出来ないかと思っています。今までよりもっと沢山のイロイロなモノを作っている人たちと出会い、より深く一緒にこの場所の可能性を探っていける人を探しています。
【募集】
1. 展覧会を開きたい人
* 企画、レンタル、問わず条件は相談に応じます。
* 自身は制作はしないけど、展覧会を企画してみたいという人も。
2. ワークショップ、講座を開きたいという人
* 条件は相談に応じます。
* 現在、ドローイング、英会話、西洋美術史、西洋音楽史等の講座をやっています。
3. 音楽イベントを開きたいという人
とにかく、この場所で何か一緒に面白い事を出来そうな人、
tsukiyo@mumble-mumble.com か 06.7493.4174までご連絡を頂ければうれしいです。
それと、もう一つ。現在月夜と少年から不定期で配信しているメールマガジンを、近いうちに刷新しようと考えていまして、2011年6月より以前から登録されている方は、一旦登録を全て解除させて頂こうと思っております。次号のメールマガジンでも、詳しく案内させて頂きますが、続けて購読をご希望の方は、大変ご迷惑をおかけ致しますが、メールマガジンの購読継続を明記の上
tsukiyo@mumble-mumble.com までご連絡をお願い致します。また、新しくなるメールマガジンでは、幅広く様々な方に執筆をお願いしたいと思っています。月夜と少年のメールマガジンに何か書いてみたいという方も是非ご連絡頂ければうれしいです。
夜をくぐる
今回、アルバムのジャケット、歌詞カード等のデザイン制作を担当させて頂きました。森ゆにという音楽家の事や、デザインの事はもちろん、CDというメディアに関してや音楽に関して等、本当に色々な事を考える機会になりました。この機会に少しここに書き記しておこうと思います。
ここ数年、僕はCDに対しての物としての魅力を、ほとんど感じなくなっていました。実際にピーク時には月10〜20枚程買っていたCDも、2010年に1年間で買ったCDはたったの2枚でした。わざわざCDを買わなくても音源はダウンロードで買えば、すぐにiPhoneに入れて聴けて便利だし、CDラックがパンパンになる事もありません。どのアーティストのどの曲をどんな順番で聴くのか、編集も思いのまま自由自在です。
そして、じっくりと音楽を聴きたい時はレコードを聴きます。ジャケットからレコード盤を慎重に取り出し、丁寧にホコリをはらってからタンテーブルに載せる、そしてアームをセットして、静かに針を落とす。音楽と真剣に向き合うにはこれくらいのテンポでないと着いていけない様に感じます。素晴しい演奏、素晴しい音源は中古レコード屋を巡れば、新譜なんて買わなくたって幾らでも出会う事が出来ます。
インターネットでの楽曲配信の便利さと、アナログレコードの素晴しさを改めて感じたのです。2010年は僕にとって、正にCDを買う意味を失った一年でした。恐らく、これから先CDというメディアを大量に生産して、それを映画、ドラマ、CM等のタイアップで莫大な広告費を使い、大量に消費していくというビジネスモデルは無くなるだろうと思います。所謂音楽業界というカタチは衰退していくより他は無いだろうと思います。
そんな事を考えていた僕に、2011年になって今回のこの「夜をくぐる」のエンジニアを担当した、water water camel の田辺玄さんが、ジャケットのデザインをしてみないか、という話をくれたのです。日頃から玄さんには、僕がCDというメディアに対して大分否定的であるという事は話していました。それでも、いえ、だからこそと言うべきでしょうか、CDに否定的だからこそ何かしら面白いモノが生まれるのではないかと考えてくれ、そして当の森ゆにちゃんも、以前月夜と少年でライブをやった時に場所の事を気に入ってくれて、月夜と少年にデザインを頼んでくれる事になったのです。
ジャケットデザインの依頼を受けてから、僕自身にとって素晴しいと思えるジャケットとはどんなモノかという事を考えました。まず、ジャケットを眺めて、どんな音が盤から流れてくるのだろうという事を想像させて、ドキドキさせてくれるモノである事、そして、そのアルバムをずっと手元に置いておきたくさせる様な、デザイン、質感のジャケットである事、という様に考えました。森ゆにちゃんからのリクエストとしては、ピアノと森ゆにちゃん自身がしっかりと向き合っている事の伺い知れるデザイン、そして玄さんからは、シンプルだけれどきっちりとデザインされているという事が分かるモノという様なリクエストでした。
割と早い段階で、森ゆにちゃんの写真をジャケットに使うという事が決まり、カメラテストの為に大阪に寄ってもらったりもして、とにかく、沢山コミュニケーションを取り写真撮影に望みました。モノクロ、カラー、35mm、120mm、と幾つかのフィルムを試したり、そして久しぶりに自宅で少し緊張しながら現像したりしました。現像のあがったフィルムをチェックしていて、撮影時の素敵な衣装を着てピアノを弾く彼女をファインダー越しに覗いて、ドキドキした感覚が蘇って来るのが分かりました。これは、良いモノが出来るという確信を得た気がしました。そして、その写真から妻がとても根気強く、それぞれの想いを掬う様にして、ジャケットと歌詞カードに落とし込んでいきました。
そして今、完成して出来上がったジャケットと歌詞カードを眺めながらCDを聴いています。僕はレコーディングに立ち会った訳ではありませんが、地震の後、計画停電の行われる最中、田舎のホールでポツンと一人ピアノに向かい歌う姿が浮かぶ様です。確かに、何かしらの特別な空気が封じ込められている事が分かります。写真撮影の休憩の時にたまたま立ち寄った花屋さんで、たまたま青い紫陽花を見つけた事。その花は、今回の一連のデザインの中で重要な位置を占める事になりました。色々な点と点が、偶然に重なり繋がって、確かな線となってこのCDを手に取って聴く人まで、ちゃんと届いていくのだろうと、今はっきりと感じます。
この重みを持った感触は決してデータをダウンロードするだけでは味わえないのだろうと思います。ただ、それならば、これをアナログ盤で発売する事は出来なかっただろうかという疑問が新たに浮かんだりはします。けれど、僕自身が胸を張って、誰かにこれは素晴しいモノだと勧められる作品になった事をとてもうれしく思っています。濃密なコミュニケーションの上に成り立った、理想とも思える仕事に携われた事に感謝します。この作品がどこかで、誰かの生活に小さな灯りを点している事を願います。
22の組曲
3月11日以前と以降。僕はもう3月11日以前の自分には戻れないのだろうな、と感じる。一人を本を読んでいても、誰かと話をしていても、どこかの片隅で"放射能"という三文字が常に微かな存在感をもって、僕自身をも薄い膜で覆ってしまいそうになる。未来への漠然とした不安感と、"今こそ何かをしなければ"という漠然とした決意。
恐らく、地震の事だって、原発の事だって、今こそ声を上げるべき時だし、行動するべき時なのだ。今何も出来ないという事は、これからも何も出来ないって事のような気がする。分かっているのに、それでも、僕は何も踏み出せずにいる。
恐らく僕は、自分勝手だ。こんな時にでさえ、ただただ、僕は大切な友の奏でる素敵な音楽を聴き、大切な友の描く素敵な絵に触れたいと思っている。作品を通して彼らの見ている世界を少しでも感じたいと、そんな事を願っている。そんな日々がいつまでも続く事を、信じたいと思っている。
無責任かもしれないけど、こんな時だからこそ、少しでも多くの人に、「月夜と少年」の新しい一歩を観に来て欲しいと思う。今はまだ、僕に出来る事なんて、何もない。それでも良い。素敵な音楽と、素敵なアートが今も変わらずに在る。
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2008年の3月から、大阪市の靭(ウツボ)本町で営業してきたgallery 月夜と少年ですが、6月から新しい場所で、そして名前も今までの「gallery 月夜と少年」から「月夜と少年」として、次のステップへと移る新たな活動を始める事となりました。その新しい場所のお披露目を兼ねまして、これまでにお世話になってきたアーティストの方々に参加してもらい、音楽会と展覧会を企画致しました。この機会に「gallery 月夜と少年」を知っている人も知らない人も、新しいスタートを切る「月夜と少年」にお越し頂ければ幸いです。
【22の組曲】
■ 音楽会 第一夜
2011.06.04 (sat)
open / start 18:00 / 19:00
charge 3,000 yen (1ドリンク込み)
*2日通しは5,000yen (両日共1ドリンク込み)
guest
-
water water camel
-
高橋水木
-
宗田佑介
■ 音楽会 第二夜
2011.06.05 (sun)
open / start 18:00 / 19:00
charge 3,000 yen (1ドリンク込み)
*2日通しは5,000yen (両日共1ドリンク込み)
guest
-
circe
-
西森千明
-
maison de sistelia
■ 展覧会 第一部
2011.06.06 (mon) - 2011.06.14 (tue) *wed close
天岸藍子,
岩瀬ゆか,
上田三佳, 遠藤誠明,
大久保淳子,
川瀬大樹,
榊和也,
ツダモトシ
■ 展覧会 第二部
2011.06.17 (fri) - 2011.06.25 (sat) *wed close
東好美, 安間仁美,
今西徹,
小田文子,
サンマルハチ,
西絢香,
野田香奈子, もうひとり
【問い合わせ・予約】06.6441.6190 or tsukiyo@mumble-mumble.com
good bye → hello
このページを一体どれだけの方達が読んでくれているのか分からないのですが、今日は少しばかり重要なお知らせがあります。
2008年の3月から、大阪市の靭(ウツボ)本町で営業してきたgallery 月夜と少年ですが、この今の場所での活動は、今日から始まった展覧会「
KENAMI」、そして5月3日〜5月5日で開催されるフリー・マーケットで小さな区切りを付ける事となりました。5月中に移転をし、6月から新しい場所で、そして名前も今までの「gallery 月夜と少年」から「月夜と少年」として、次のステップへと移る新たな活動を始める予定です。
今、独立をしてからの3年を振り返って、色々な思いが頭の中をグルグルと巡っています。3年前に独立するにあたって思い描いていた理想のカタチは、どのくらい実現する事が出来て、またどのくらい実現する事が出来なかったのか。この3年の間に100を超える展覧会、ライブイベント、ワークショップ等を行ってきました。その数が多いのか少ないのかはよく分からないのですが、素晴しいモノを作っている多くの作家との出会いを通じて、従来のギャラリーという場所のイメージからは離れ、非常に広域に渡る活動が出来たと思っています。そこで僕は、本当に多くの事を考え、学び、そしてそれらは僕にとってかけがえの無い喜びとなっていました。僕にはまだまだ見えていない世界が、遥か彼方まで続いていると思えるだけで、それはとても大きなエネルギーを与えてくれている様でした。
そして、今度は、自分以外の誰かと共に広い世界を感じ、考え、学ぶ事の出来る場所を作りたいと思っています。自分だけではなく、たった一人の人にでも心の奥深くにまで届く、そんな体験を共有出来ればと思っています。明日を想うこと、1ヶ月先の日を想うこと、1年先の日を想うこと、10年先の未来を想うこと。隣の人を想う事、家族を想うこと、友人を想うこと、友人の家族を想うこと、友人の友人を想うこと、友人の友人の家族を想うこと。自分の住む街を想うこと、大切な人の住む街を想うこと、テレビに映された人の街を想うこと、本で読んだ街を想うこと。静かな心で他者へと巡らせる想像力は、自らを省みる事を忘れさせる欲望への、確かなアンチテーゼです。
様々な分野に携わる人たちが集い、それぞれの世界を広げていくために、感じ、考え、学び合う、一つの基地の様な場所を作っていけたらと思います。今までの「gallery 月夜と少年」活動を支えてくれた多くの人たちと、また新たな、より深い関係を築き、そしてこれからも、新しい素敵な出会いが沢山生まれる場所である事を願っています。
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移転までのスケジュール。
4/17 - 4/30 「
KENAMI / ツダモトシ & ooyanagimiwa」
5/3 - 5/5 「フリー・マーケット」
5/10 - 引っ越し作業
6/4 & 6/5 オープニングパーティー
出演:water water camel, mizuki, 宗田佑介, circe, 西森千明, maison de sistelia
6/6 - 6/25 オープニングエキシビション
出展:東好美, 天岸藍子, 安間仁美, 今西徹, 岩瀬ゆか, 上田三佳, 遠藤誠明, 大久保淳子, 川瀬大樹, 榊和也, 坂本ゆい, ツダモトシ, 西絢香, 野田香奈子, もうひとり, 他
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移転先の情報
住所:
〒550-0012 大阪市西区立売堀1-12-17 artniks bld.2F
*現在のgallery 月夜と少年から歩いて10分程の場所にある素敵なカフェ、
milibar (ミリバール)の2階です。
元々は、milibar gallery として運営されていた場所ですが、ギャラリー部門の閉鎖に伴って空いた2階部分に「月夜と少年」が入居させて頂く運びとなりました。
*8月以降のギャラリースペースのレンタル希望者を募集しています。
サカトミチ
去年の5月に、初めて尾道という場所に訪れました。以前より、チャンキー松本氏から「尾道は良い所だよ。絶対ヨシダ君好きやと思うわ。」と聞いていて、何か機会を作って行きたいものだと思っていました。
大阪から電車に乗って2時間程で尾道駅に到着します。途中の福山迄は新幹線で、そこから在来線に乗り換えるのですが、その福山から尾道までの数駅はとてもドラマチックで、旅に来たという事を実感させてくれました。小高い山並が静かな瀬戸内海の湾に、すっと近付いていき、小さな家と街は山の斜面を這う様に車窓を流れていきます。この数駅が外から来た人間には、とても良い"間"を与えてくれていて、尾道は素敵な街なんだろうという予感を持たせてくれるのです。
尾道は小さな街ですから、駅周辺の素敵なカフェやお店、ロープーウェイに乗って山を登って、お寺を見てそこから山の手の街を歩いて路地を巡る、一日あればぐるっと尾道という場所を見て回る事が出来ます。これまでに何度も尾道を訪れイベントをやっているチャンキーさんと、地元で音楽活動をされているKEIKIさんに案内をしてもらい各所をまわっていると、それぞれが面白い活動をしながら、微妙な距離間を保って、でもちゃんと繋がっているんだなという事が分かって、それを少し羨ましくも感じました。
ただ、尾道も他の全国にあるどの地方都市でも抱えているであろう問題に直面していました。高齢化と過疎化。自動車の入り込めない程の細い路地が張り巡らされた山の手は空き家だらけになってしまっています。

今、尾道ではその空き家を再生させようというプロジェクトが積極的に行われています。家賃が都会では考えられないくらいの安さで、改装を行って色々なお店にしていたり、アトリエにしていたりと、若い人たちもすこしずつ尾道に入ってきています。
尾道を見ていると、懐かしい場所の様でいて、しかしそれと同時に、何か日本の新しいカタチの未来を見ている様にも思えてきます。多少不便でも、自らの智恵と手を働かせて、そして手の届く範囲のコミュニティの中で、創造的に幸せな生活を築けるという事のお手本の様に感じます。小さくとも、そんなコミュニティ同士が必要に応じて自由に繋がっていく事が出来れば、それは今までとは少し違った日本の姿が見えてくる様に思います。
今回、縁があって繋がる事の出来た尾道の人たちを大阪に招いて、展覧会を行います。4月2日にはワークショップやライブイベントもあります。これからの時代を生きる一つのヒントの様なモノが見て取れるかもしれません。是非、ギャラリーに足を運んで頂ければと思います。
サカトミチ 3/28 ~ 4/3
3月11日から考えた事
この文章は、2011年3月15日の午後から書き始めました。場所は大阪。去る2011年3月11日に東日本特に東北部を中心にかつて僕達が体験した事が無い程の巨大な地震と、それに伴う巨大な津波が襲いました。時間が経つに従って明らかになってきた被害状況、様子は正に未曾有の大災害だと言わなければならない、またどんな言葉も意味を持たないのではないかと思ってしまう程のニュースが伝わってきます。さらに、それに加えて東京電力の福島原子力発電所の緊急事態の報告からも目が離せなくなっています。
僕は14歳、中学2年の時に阪神淡路大震災を芦屋で経験しました。幸いにも鉄筋コンクリートのマンション住まいだった為に家も家族も皆無事でした。しかし一歩外に出ると、街は崩壊していました。そんな経験もあったので、今回のこの地震も発生当初は震度7というニュースを聴きながらも、どこかでまぁ、あの震災より酷い状況にはならないだろうという様な事を思っていました。後になって、自然災害の状況なんて比べて優劣を付けるものではありませんが、これはあの時よりもずっと酷い状況なのかもしれないと思うに至りました。
毎日、ニュースやインターネットで情報を集めるだけで、被災地から遠く離れた自分の力の及ばなさ、というか全く何も出来る事がないという事実にぶち当たり、しばし呆然となります。今僕の生活する街は、普段の生活とほぼ変わりのない毎日を送る事が出来ています(現段階ではという条件付きですが)。そんな、傍観者とまでもいわないまでも、明らかに現場に居合わせない自分が、何かを書き記すという事に、どんな意味とそして責任が生じるのかもうまく理解できぬまま、迷いながらでも、今この時に一人の人間として感じていることを残しておく事は、いずれ誰かの何かの役に立つ日も来るのかもしれません。そう思い、迷い、考え、慎重に、でも率直にここに僕の思いを残しておこうとしています。
3月11日、僕は妻と共にに自分たちの運営する仕事場であるギャラリーのワークスペースで事務作業をしていました。始めは妻が「あ、私貧血かも。」という事を言いました。数秒して自分自身もフラフラとするなという事を感じ「あ、僕も貧血かも。」と言いました。しかしそんな、二人も同時に貧血になるなんて事は、あまり現実的な話ではなく、すぐに天井から下がっている電球がユラユラと大きく揺れていることに気づき、地震だという判断に至りました。そのぐらい、僕自身がこれまでに経験していた地震の揺れとは全く違い、大きく大きく、ゆっくりと地面全体を揺り動かされているような、そんな揺れでした。数十秒から二-三分は揺れが続いていたのではないでしょうか。地震に気づき外に出てきている人が通りに沢山いました。この長い周期の揺れを大阪で感じているという事は、きっと震源地ではかなりの揺れであったであろうという事がふと思い浮かびました。すぐにネットで確認すると、三陸沖が震源で最大震度は7と出ていました。その時点ではまだ、大きな地震が起こったなと思いましたが、先にも書いた様に、あの阪神大震災程ではないだろうと、勝手に思っていました。しばらくは情報もあまりなく、数時間たって少しずつ映像などが伝わりだしてからやっと、これはとんでもない事になっていると思い至る様になりました。
そこから、ニュース、インターネット、ラジオ等から流れる情報が気になって、色んな事に手が付かないようになってきていました。特に地震後福島原子力発電所の緊急事態が明らかになってからは、どうしてもその事から離れるという事が難しくなってしまっています。これまでの自身の不勉強のせいで、原子力発電の事等あまりにも知らない事が多すぎて、どの様に考え、判断し、行動すれば良いのかという事がよく分からずに時間が過ぎていってしまいます。悠長な事を言っている場合ではないと思いますが、実際にこれまでは、雑誌や書籍、たまにテレビで報道されたり、そういう原子力関係の事実に触れても「あぁ、放射線って怖いな、原子力発電なんてやめれば良いのに。」という無責任な発想を持つくらいしかしてこなかったのです。現実に起こった巨大な事態に、立ちすくしてしまっています。ただ、今必死に出来る限りの情報を入れ学習し、思考するということに火を入れたいと思っています。そして何かしらの自分自身にとっての指針を見つけ出さなければならないと思っています。
無闇に不安を煽ろうと思ってはいませんが、しかし今自分自身の置かれる環境が、この地震の起こる前みたいに、安全でそして安定した環境だとは信じることが出来なくなっています。原子力、放射線と言ったモノへの恐怖の根源は幾重にも折り重なる、様々な闇がある様な気がしています。放射線それ自体は無味無臭で五感でその危険を察知する事が出来ない、そしてその影響が現在だけでなく、潜在的に数十年という未来に渡って影響を与え続けるかもしれないという、未知の存在への恐怖。そして、広島、長崎で経験した原子爆弾の被爆という過去の歴史へのトラウマ。現代の都市部での快適だと思い込んでいる生活の維持と安定のために動き続ける、遠隔地に存在する原子力発電所。これは、先進国と呼ばれてきた日本のコミュニティに内在していた不条理の象徴の様な気がします。その見えない闇の深さにとてもナーバスになってしまいます。テレビで繰り返し言われる様に「すぐに人体に影響を及ぼすレベルの放射線量ではない。」という事を素直に受け入れられずにいます。
ただ、今となってよく考えてみると、未来とはそもそもどんな約束をも保証してくれるものではなかったのだと思います。放射性物質が降ってこようと降ってこまいと、自分自身が明日も必ず生きている、10年後も必ず健康だなんていう保証はどこにもなかったのです。放射性物質を避けるために、国外へ脱出しようとするその飛行機がひょっとしたら事故を起こす可能性だってあるわけです。今僕がこうやって生きているのは、これまでの幾千もの選択の上に記された、実に不確かな点と点の微かな連続に過ぎないと思うのです。これからの僕達の決断、選択の一つ一つの結果は、もっと確かな重みを持って実感する事になるのではないでしょうか。僕は今、不確かな未来に怯えるのではなく、僕自身が、そして僕の大切な人達が、豊かに幸せと共に生きていける為に、自分に課せられた使命にこれまで以上に一生懸命取り組まなければならないと思っています。
明日が必ず健康でいられるのか、それは分からないけれど、今この時に聴こえてくるピアノの音は美しいし、一編の詩は深淵な世界を示し、力強い言葉が胸を揺さぶる。僕にはそれで充分なのです。時々停電があったって、電車が時間通りに来なくたって、お店が7時には閉まっていたって、少しぐらいお腹が空いたって、有り余る物がなくたっていっこうに構わないです。少しぐらい不便な方が良いのではないでしょうか。小さなコミュニティでお互いの手の届く範囲で、色んなモノをシェアして行けば、それなりに豊かで幸せな人生を築く事が出来ると思います。そんな風に生きていく為に、僕に出来る事を必死にやらなければならないのです。誰のせいにも出来ないし、僕自身の人生なのですから。